実はDVDボックスは10年前の韓国出張時に購入しているんだけど、やっぱり字幕がないので…。
実はDVDボックスは10年前の韓国出張時に購入しているんだけど、やっぱり字幕がないので…。
- BKB50を付けても800gと超軽い(長距離通勤者は軽装至上主義)
- バッテリのもちがかなりいい(充電する時間がない)
- SIMがさせるので外出中でもネットに繋がる(クラウドサービス使いまくり)
- BKB50からの入力時にチャタリングなどのトラブルが起こることがある(キーボード入力大好き)
- Android向けのOfficeアプリが非力(Excelガシガシ使いたい)
- リモートデスクトップは使えるけれどWinキーがないと使いにくい(ショートカット厨)
XPS13の最大のウリは極狭ベゼルでスタイリッシュなディスプレイ部分だと思うのですが、対面の会議室の席なんかではこの背面のデザインが非常に重要だと思うのです。
で、重要なのが作業領域たるディスプレイとキーボードです。
お借りしたのは日本語キーボードでEnterキーの小ささを指摘する方もいらっしゃるようです。
Microsoftが目指す常に繋がっているPCこそ我々ビジネスサブノートを求める人にとっての福音です。
- 【焼】ミナトバラックスのゲストハウスに宿泊してBBQをさせていただきました。官舎をリフォームした住宅はカフェ建築中だったり着々と進化中。住みたい!
- 【握】スーパー回転寿司やまとは千葉県内で有名な回転寿司屋さんチェーン。回転寿司とはいえネタが新鮮で美味でした。市外県外ナンバーのクルマが殺到するのも納得。たべすぎた!
- 【煮】鋸南町保田漁港にある漁協直営食堂ばんやはお魚パラダイス。館山からの帰り道にブランチ的に立ち寄りました。11時前に着席、すぐどんどんお客さんがやってくる。お刺身だけでなく煮魚焼き魚すべてプラス250円で定食にできます。これが近所にあったら毎日毎食通いそう。たべすぎた!
チャンネルまわすもウチの契約では視聴できず。
しかたなく隣町所沢の西武×巨人戦を覗いてみると西武が逆転してる!

てなわけでひさしぶりに「巨人戦」を8回からみていたわけだけど、そこでこのエントリのタイトル。
たしかに規定打席最低打率とはいえ前打席でタイムリーを放っている小林の打席。
そこで高橋監督は同じキャッチャーの相川を代打に。
相川の打率は.200。
たしかに小林は.170。
おぅっ、3%確率あがるやん! ってこと?!?!
投手シュリッターは右投げだから左打ちの亀井だったらまぁわかる。
右の小林の代打で3%だけの差で右の相川?
シュリッターとの対戦は初めてだし相性もないだろうしまったく理解不能な采配。
なによりここまで選手層が薄い球団なのか?!
アンチ巨人の阪神ファンだけどここまで巨人が不甲斐ないと心配になる。
思い起こせば子供の頃は巨人のキャップを被っていた。
その頃の感情がまだ少し残っているのかもしれない。
その責任者、高橋由伸監督が気になる。
代打相川のような不可解な采配。
今日の中継でも巨人ベンチが映るたびに蒼ざめた監督の顔には生気を感じない。
結果ネガティヴオーラがベンチに充満する。
あのムードじゃ勝てない。
高橋監督というとどうしてもドラフトの会見を思い出す。

そして異例の突然引退即監督就任。

巨人入団の経緯からいろいろ想像をめぐらせると同情心というか、アンチで片付けられない。
常勝が義務付けられたチームの監督は本当にキツいだろう。
いまの巨人にはもっと熱血漢な監督が求められるのではないか。
しかし「紳士たれ」なる巨人OBの監督候補にそんなムードを背負った人は思い当たらない。
チームは人材がすべてだし、勝利のためのマネジメント、そのためのチームビルディングってむずかしい。
- 正誤 ~ 誤っていること、まちがっていること
- 正義不正義 ~ 悪いこと、邪なこと

沖縄の島唄文化のフィールドワークがメインだったんだけれど、やはり基地問題は避けて通れなかった。
それに加わることは一度もなかったけれど、生まれ育った家庭環境もあって基地反対運動にシンパシーを感じていた。
しかし10年前にある光景をみてから逆の印象を持つようになってしまった。
それがなんだったかについては書かないけれど反対運動に懐疑的になってしまった。
基地問題だけでなく沖縄の抱える物事を深くみることをさけ、観光者あるいは離島マニアとして表面的な部分のみを愛でるようになってしまった。
老後に移住するべく具体的な投資もしたけれど今思えばお気楽ナイチャーの感性での行動だったと思う。
この10年、基地問題の情報のほとんどはインターネット経由のものだった。
推進派/反対派双方のフィルターの掛かっていない情報とそれにのっかる罵詈雑言。
ことさら直近の感情である反対派への不信感を増幅させるものに揺り動かされてきたのは事実。
その中の一人でいつも毒吐いている感が強い中川さんが過去を一掃したいとまで思わせたというこの告白にドキッとした。
1991年2月、19歳のとき、一人暮らしの水道管が凍結して破裂したのをきっかけに、なにげなく大阪南港から30時間かけて那覇新港についてからの放浪の日々。
糸満で道を尋ねたおばあが「あんた日本からきたの?」という発言こそがぼくが沖縄に関わるきっかけだった。
ヒッチハイクと野宿の旅のなかで「あんた日本からきたの?」が何度も脳裏によみがえりわけもなく涙が出た。
あれと近い体験だったのではないか。
まちがいなくほとんどのウチナンチュは自らのことを日本人だとしている。
でも〈中央〉の日本人が「沖縄は日本」といったとき、それは〈辺境〉のウチナンチュには所有されている意味にしかなっていない。
この「中央と辺境」の意識構造こそ基地問題をはじめ沖縄の抱える物事に横たわる。
「中央と辺境」は沖縄県内にもあるし、日本の、世界の、どこにでも多重構造で存在する。
中央は辺境を利用するし。辺境は中央とどう向き合うかで生きていかなくてはならない。
地政学的なことだけではない。
人間の心理や文化にもある。
10年前までこのことをずっと考えていた。
考えなくなった理由はわからないけれど、この我が人生の最大のテーマをまた考え直したくなった。