会社から帰宅する電車の中で、不覚にも涙目になってしまったのがコレ。

▼新庄 練習に阪神のユニホームで登場
http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20060518048.html実はずーっと新庄のことを書こうと思っていた。
開幕のハーレーでの入場には「悪趣味やなぁ」、突然の引退表明には「非常識やなぁ」、違反ユニフォームについては「制服改造で喜んでる中学生とかわらんやんけ」と思った。
阪神時代も95年の突然の引退宣言のときもそうだった。
とにかく、彼の行動・言動にいちいちイラッとしてしまう。
ぼくは彼と同学年なのだけど、クラスメイトだったとしたら絶対に仲良くなれないタイプであるのはまちがいない。
でも今日改めて思った。
ぼくにとっての「ミスター・タイガース」はやっぱり新庄剛志だ、と。
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92年、亀山とともに大活躍した年は本当に初々しかった。
当時大学生だったぼくは何度か甲子園へ出向いたが、毎回新庄が打ち、毎回阪神が勝利していたのを今でも覚えている。
この年は、最後まで優勝争いを演じたのだが、翌年から最下位続きの暗黒時代に突入する。
とはいえ、ノムさんが監督就任した99年はよかった。
「投手との二刀流」プランから始まり、6月には槙原の敬遠球をサヨナラタイムリーにした時は神懸かっていた。
その時のお立ち台で「明日も勝つ!」と叫んだ時もその声に涙腺が決壊した。(しかし翌日の試合に大敗し13連敗したのは、これでまた伝説となった。笑)
それから数ヶ月後、中日との恒例北陸シリーズ、剛球をブンブン投げ込む宣銅烈に対して、新庄がひたすらファウルで粘り続けたことがあった。
高円寺の居酒屋のテレビでその姿を見ているうちに涙が溢れてきて、当時の恋人に笑われたことを今でも覚えている。
「新庄への心情」についてまとめよう。
新庄に対しては、<憎さ>と<愛しさ>が同居するアンビバレンツがある。
しかも、その両方がそうとうデカい質量でもって存在している。
とにかく、彼の言動そしてプレーが、ぼくのココロの振り子を大きく揺さぶるのだ。
そんな選手は新庄以外に、いない。
で、ここで急に「信条への真情」とうテーマに強引ながら持って行く。
今国会で審議されている教育基本法改正法案はキモチワルい。
賛成派に対しても反対派に対してもキモチワルいのだ。
そもそも「愛国心」ってナニ?
「国を愛する」と言った時の「国」とはナンのことをさすのか?
ぼくの場合、桜や富士山を美しいと感じるし、和の美を尊うメンタリティを持っているつもりだ。
また、英語が喋る日本人よりも、美しい日本語を喋る日本人の方がカッコイイと思う。
しかし、今回の改正法案を推進する人の基準では非国民とされるんだろう。
教育とは、ある規定をもとに到達点をつくり、子供にそこへ到達することを課す。
その達成度合いで<成績>が決められる。
一方、ココロはコトバで規定できない。
時の施政者がコトバ(つまり法解釈)で子供のココロを縛ることができるのが今回の改正法案。
だからキモチワルいのだ。
で、新庄のハナシに置き換える。
前述したように、<新庄を愛するココロ>はアンビバレンツだった。
<日本を愛するココロ>もそうなんじゃないだろうか。
新庄も日本も、スキだしキラいだし、やっぱりスキだったりする。
そういうココロの揺れを国家が縛るのだけはヤメてほしい。
今季は古田ヤクルトと野村楽天を応援しようとがんばったのに、やっぱり阪神ファンであるのはまちがいない。
中学生のときに夏休みの自由研究で家系図を書いたことがあるんだけれど、ぼくは先祖代々遡っていっても正真正銘の日本人であるのはまちがいない。
どんなことがあっても、この二つの事実はかえられないんだから。