日本と沖縄、中央と辺境

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学生時代から沖縄に関わってきてそれなりにいろんなものをみてきた。
沖縄の島唄文化のフィールドワークがメインだったんだけれど、やはり基地問題は避けて通れなかった。
それに加わることは一度もなかったけれど、生まれ育った家庭環境もあって基地反対運動にシンパシーを感じていた。
しかし10年前にある光景をみてから逆の印象を持つようになってしまった。
それがなんだったかについては書かないけれど反対運動に懐疑的になってしまった。


それがきっかけなのかはわからないけれど、この10年沖縄には1年に一度行くか行かないかになってしまった。
基地問題だけでなく沖縄の抱える物事を深くみることをさけ、観光者あるいは離島マニアとして表面的な部分のみを愛でるようになってしまった。
老後に移住するべく具体的な投資もしたけれど今思えばお気楽ナイチャーの感性での行動だったと思う。



この10年、基地問題の情報のほとんどはインターネット経由のものだった。
推進派/反対派双方のフィルターの掛かっていない情報とそれにのっかる罵詈雑言。
ことさら直近の感情である反対派への不信感を増幅させるものに揺り動かされてきたのは事実。
その中の一人でいつも毒吐いている感が強い中川さんが過去を一掃したいとまで思わせたというこの告白にドキッとした。


1991年2月、19歳のとき、一人暮らしの水道管が凍結して破裂したのをきっかけに、なにげなく大阪南港から30時間かけて那覇新港についてからの放浪の日々。
糸満で道を尋ねたおばあが「あんた日本からきたの?」という発言こそがぼくが沖縄に関わるきっかけだった。
ヒッチハイクと野宿の旅のなかで「あんた日本からきたの?」が何度も脳裏によみがえりわけもなく涙が出た。
あれと近い体験だったのではないか。


まちがいなくほとんどのウチナンチュは自らのことを日本人だとしている。
でも〈中央〉の日本人が「沖縄は日本」といったとき、それは〈辺境〉のウチナンチュには所有されている意味にしかなっていない。
この「中央と辺境」の意識構造こそ基地問題をはじめ沖縄の抱える物事に横たわる。
「中央と辺境」は沖縄県内にもあるし、日本の、世界の、どこにでも多重構造で存在する。
中央は辺境を利用するし。辺境は中央とどう向き合うかで生きていかなくてはならない。
地政学的なことだけではない。
人間の心理や文化にもある。
10年前までこのことをずっと考えていた。


考えなくなった理由はわからないけれど、この我が人生の最大のテーマをまた考え直したくなった。


by champlasonic | 2017-03-10 09:16 | days | Comments(0)

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